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【書評】疾走 感想 ネタバレ注意

会話が多く難しい表現の無い文章は読みやすく感じた。だがどうしようもない何の救いもない小説だけにあまり深入りしない様に努力した。そういう小説はのめり込み過ぎると2、3日小説の世界を引きずる事になる。

 

エリが脚を負傷する場面など残酷な描写が胸の中をえぐる。ダンプカー、ヤクザ、それらのキーワードがまるで暴漢が刃物を目の前でチラつかせているような感覚に陥った。とにかく危ないのだ。気が気では無い。読み手の心に不安の二文字を抱かせる。

 

だが読み手はその不安を楽しんでいる。物語の作者が提示する残酷を必要としている。人間はそういう面があるのではないかと感じた。

 

読み進めていくと遠藤周作の「沈黙」を思い出した。「沈黙」の中でも神は人が如何なる悲劇に見舞われようともただただ沈黙していた。

 

弥七と徹夫がだぶって見えた。狡猾な所は瓜二つだと思った。そう言えば「疾走」も「沈黙」もキリスト教をテーマとしている。私はそちらに関しては詳しい知識を有していないから何とも言えないが徹夫や弥七の様な人物が聖書に登場してくるのであろうか。時系列を正して言うと聖書に登場してくる様な人物をモチーフにした存在が徹夫や弥七なのであろうか。

 

神は残酷だと思わず言いそうになる場面があった。シュウジは新聞屋で働いている時に同じ部屋になった老人に酒を勧められ心がほぐれて涙まで流した。酒を気前よく飲ませる段階で何かあると感じてはいたが老人の発言が「お金はちゃんとしまったか?」という会話になった時に確信した。シュウジはやられる。相手の懐に飛び込みやすい様に最初はやたら親切に接して獲物を充分油断させてから手にかける人間がいる。そんな人間は所長よりもずっとたちが悪い。シュウジは人間の悪い面を見過ぎたのだ。出会い過ぎた。だから彼は誰も信じない様な目を持つ様になってしまった。

 

新聞屋の所長が新聞を配達しながら人々の不幸を届けていると言っていた。僕はどきりとした。僕は新聞に載る不幸のニュースを読む人間だった。この場合僕が呼んでるのは事実(必ずしも事実とは限らない)が書かれた新聞ではなく疾走という小説だ。シュウジの不幸に胸を痛めているふりをして自分の身がシュウジに比べればまだマシだとそんな風に捉えていないと否定できない。所長の言葉は暖かい部屋でコーヒーを飲みながら小説を読んでいる僕自身に語りかけている様だった。本が問いかけてくる小説だった。特に後半の性描写に顕著だが君、嫌なら良いんだよ、別に無理に読み進めなくても、それでも先が気になるの?それならどうぞご自由にと。

 

 

物語も終盤に差し掛かるともうそれは沈みかけた船を甲板で見届ける航海士の様だった。ゆっくりとだが着実に船の内部に海水は進入してくる。それはもうどうにもできない。打つ手が無いのだ。ジワジワと暗く何処までも深い海の底へと引きずり込まれていく。しかし見届けずにはいかない。僕は自分の残酷さをヒシヒシと痛感した。