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【随筆】感動

地元の人間に親しまれて来た電車が廃線するという映像を見た。その映像は私の地元を走っていた電車で廃線されたのは私の生まれる前の話だ。それにもかかわらず涙が溢れ出て来た。

 

涙の直接の原因は映像の中の線路で遊ぶ無邪気な子供や、のどかな田園風景、そこを急かされる事無くのんびりと走り抜ける電車だ。それはきっと今との対比を感じいたからかもしれない。現代の電車のぎゅうぎゅうに詰まったダイヤが悪い事だとは思わない。坂口安吾堕落論の中で古いものは淘汰され新しいものに生まれ変わるという趣旨の事を語っている。人々の暮らしと共に電車や町並みは変化してきた。

 

純粋なモノを見ると涙を流す。動物や景色、音楽。なぜそれらと出会うと涙が出てくるのか。それはギャップだと感じる。

 

人は日常生活を営む時は潜在意識は休まり、顕在意識を働かせて生活していると言う。私が思うに感動の対象物は顕在意識を潜在意識へと一気に切り替える。その顕在意識と呼び起こされた潜在意識との間のギャップがあればあるほど号泣に近い泣き方をする。

 

写真や映像をの中で懐かしいものに出会って涙を流す瞬間は悲しい夢を見た後で自分のすすり泣く声で目を覚ます時とどこか似ている気がする。悲しいのだが泣いている事自体は気持ちが良い。なんとも不思議な感覚。カタルシスが崩壊する様な。

 

こういう極めて感覚的な事を言葉にするのは難しい。まず心に沸き起こる感覚をどう言葉にして良いのか頭を悩ませる。言葉にできないという表現は好きになれない。言葉はそんなに不便なモノではないと感じるからだ。また言葉にできないと言われるとそれ以上どうにも聞き返す事ができない。会話の継続が不可能になる。

 

私は感動は一人でも味わう事ができると思う。でも感動を共有する事は一人ではできない。友人と映画に出かけてなんだか素晴らしい映画を見た後、友とあれこれと語り合う時間は素晴らしい時間だ。感動を共有する事が人間に与えられた喜びだと思う。

 

言葉を駆使してその時自分はどう感じたかをはっきりと表現すると相手もはっきりと表現してくれる。自分から出た言葉、あいてから出た言葉それらを比較すると新たな発見が生まれる。 それは映画を様々な角度から見る事になるから。自分では発見できなかった新たな事実や味方につながる事ができる。

 

感動を共有できる友を大切にしたい。