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【随筆】服が好き

私は服が好きだ。ブランドじゃなくて服が好きだ。だからハイブランドでもデザインや素材が気に入らないと購入を控える。

 

私は服が好きだ。一軒、二軒周っただけじゃ買わない。三軒、四軒、いやもっとそれ以上周り最終的に最初の一軒目に戻って買うという事も平気でする。身体の疲れなんか気にならない。

 

私は服に何を求めるか?

私は服に服自体の持つ美しさを求める。その美しさとは襟の形、着丈、などデザインの面は元より、保温性とか遮風性とか機能的な面での極限まで突き詰めた美しさを意味する。だから本当にそれらの美しさを満たしたものであったら多少値が張ったとしても手に入れたくなる。

 

それと服を買う時に注意していることがある。それはこの服は将来的に着回しが効くか?年老いても着れるか?そこも見逃すことのできないポイントだ。だから一着7万程するアウターでもお金を払って購入するに値する物なのだ。服好きをうたう割にはクローゼットにはまだ余裕があるのもそのためだ。

 

だいたい考えてもみれば心惹かれる服がそんなにあるはずは無いのだ。ファラオコート、カーコート、スタジャン、ライダース、コーチジャケット、1ジャンル一着揃えば良いと思っている。

 

自分にどんな服が似合うかわかっているので、あれもこれもと手を広げないのもレスイズモアを体現できている理由だろう。服は着る物だ。着させられる物じゃ無い。始めに自分ありきなのだ。

 

ブランドで身を固めた人間を批判する人がいる。自分の価値基準に沿っていない。ひたすらハイブランドを身につけることで自身のステータスにつなげようとする。でもそれはそれで良い。日本でも海外でも古来より服がその人の所属や地位を表す役割を持っていたのも事実だ。

 

それはつまり服に何を求めるかの違いだ。権力を示すツールと使用する者。カルチャーなどの同朋意識を刺激するために服を身につける者。生地の質感、機能性と言った服自体の魅力に魅せられる者。いろいろ居て良いのだ。批判することはない。

 

俺みたいな生き方は不器用だと思う。散々確かめ散々見て回り散々悩んだ物で無いと納得できないのだ。なぜだろう。

 

持ち物を増やしたく無い。厳選して部屋に置いていきたい。それは昔から持ち続けている意識だ。

 

それにより損をしている事も沢山あるだろう。服に当てはまる定義が万能なはず無いのだ。食べ物屋の場合、行った先の意外性、偶発性にある面白さだったり、サプライズ感。それらのドキドキと言った概念は食べログぐるなびを常用的に利用する人間よりも利用しない人間の方が味わえるはずだ。

 

私はナルシストだ。だがただのナルシストじゃ無い。ここで曖昧にしたく無いのでただのナルシストを定義したい。私が言うただのナルシストは無意味やたらに自分に自信がある者の事を指す。私は無意味やたらに自分を誇示したりし無い。私は自分の判断基準を満たす服を着ている。そこに自負を持っている。だから妥協するのに一苦労する。妥協したら自分の判断基準を認める事ができ無いからだ。それはただのナルシストに成り下がってしまう。つまりこだわりがあるか?意図があるか?そこがナルシストとただのナルシストの違いだ。

 

私は昔から美意識が高い。運転中は車のシートにもたれかかり寝癖がつくのが嫌で頭を浮かせていた。それにより首のコリが悪化した程だ。近くのコンビニに行くときもスウェットでは行かず正装とまではいかないがそれなりの服を着ていく。

 

考えてもみてほしい。パーティーにお洒落して行く人間は大勢いる。だが日常的にお洒落が根付いている人間が何人いるか?

 

もしもコンビニにスウェットで出向き知り合いに会い、その知り合いがいつもの様にお洒落をしていたとしたら。

 

この人はコンビニにもオシャレをして来るのだ。いつもオシャレに違い無い。と認識されるだろう。オシャレの太鼓判を押される。

 

人の目を気にして何が悪い。それで気持ちよくなれるなら良いじゃ無いか。