【随筆】キンモクセイ

キンモクセイが香り出した。今年もそんな季節がやってきた。

 

香りには記憶を呼び覚ます力がある。覚えのある香水の香りと街中で出会い、昔き合っていた異性に思いを馳せる。

 

私にはキンモクセイが思い出させる記憶がある。

 

高校生の時、男女混合の部活動をしていた。キンモクセイ香る9月下旬頃の話だ。

 

その当時好意を寄せていた先輩と話をしていた。その会話の中で先輩がキンモクセイの香りが好きだと言った。

 

私はひねくれていたのかその先輩には同調せず、キンモクセイの香りはトイレの芳香剤の匂いがすると言ってしまった。

 

先輩は怒らなかったが多分恥ずかしい思いをしたと思う。

 

あれからもうだいぶ経っているのに毎年キンモクセイの香る時期にあの出来事を思い出す。

 

 

【随筆】コーヒー

朝コーヒーを淹れたら洗剤臭かった。

 

洗剤を良くすすいでいなかったせいだろう。

 

洗剤臭いコーヒー。

 

でも勿体無いから急いで全部飲み干した。

 

洗剤入りのコーヒーが存在しているのが嫌だった。

 

失敗は失敗の責任を取り、早く片付けてしまいたい。

 

胃が痛いのは洗剤入りのコーヒーのせいか。

 

胃が痛いのはコーヒーの飲み過ぎのせいか。

【随筆】服が好き

私は服が好きだ。ブランドじゃなくて服が好きだ。だからハイブランドでもデザインや素材が気に入らないと購入を控える。

 

私は服が好きだ。一軒、二軒周っただけじゃ買わない。三軒、四軒、いやもっとそれ以上周り最終的に最初の一軒目に戻って買うという事も平気でする。身体の疲れなんか気にならない。

 

私は服に何を求めるか?

私は服に服自体の持つ美しさを求める。その美しさとは襟の形、着丈、などデザインの面は元より、保温性とか遮風性とか機能的な面での極限まで突き詰めた美しさを意味する。だから本当にそれらの美しさを満たしたものであったら多少値が張ったとしても手に入れたくなる。

 

それと服を買う時に注意していることがある。それはこの服は将来的に着回しが効くか?年老いても着れるか?そこも見逃すことのできないポイントだ。だから一着7万程するアウターでもお金を払って購入するに値する物なのだ。服好きをうたう割にはクローゼットにはまだ余裕があるのもそのためだ。

 

だいたい考えてもみれば心惹かれる服がそんなにあるはずは無いのだ。ファラオコート、カーコート、スタジャン、ライダース、コーチジャケット、1ジャンル一着揃えば良いと思っている。

 

自分にどんな服が似合うかわかっているので、あれもこれもと手を広げないのもレスイズモアを体現できている理由だろう。服は着る物だ。着させられる物じゃ無い。始めに自分ありきなのだ。

 

ブランドで身を固めた人間を批判する人がいる。自分の価値基準に沿っていない。ひたすらハイブランドを身につけることで自身のステータスにつなげようとする。でもそれはそれで良い。日本でも海外でも古来より服がその人の所属や地位を表す役割を持っていたのも事実だ。

 

それはつまり服に何を求めるかの違いだ。権力を示すツールと使用する者。カルチャーなどの同朋意識を刺激するために服を身につける者。生地の質感、機能性と言った服自体の魅力に魅せられる者。いろいろ居て良いのだ。批判することはない。

 

俺みたいな生き方は不器用だと思う。散々確かめ散々見て回り散々悩んだ物で無いと納得できないのだ。なぜだろう。

 

持ち物を増やしたく無い。厳選して部屋に置いていきたい。それは昔から持ち続けている意識だ。

 

それにより損をしている事も沢山あるだろう。服に当てはまる定義が万能なはず無いのだ。食べ物屋の場合、行った先の意外性、偶発性にある面白さだったり、サプライズ感。それらのドキドキと言った概念は食べログぐるなびを常用的に利用する人間よりも利用しない人間の方が味わえるはずだ。

 

私はナルシストだ。だがただのナルシストじゃ無い。ここで曖昧にしたく無いのでただのナルシストを定義したい。私が言うただのナルシストは無意味やたらに自分に自信がある者の事を指す。私は無意味やたらに自分を誇示したりし無い。私は自分の判断基準を満たす服を着ている。そこに自負を持っている。だから妥協するのに一苦労する。妥協したら自分の判断基準を認める事ができ無いからだ。それはただのナルシストに成り下がってしまう。つまりこだわりがあるか?意図があるか?そこがナルシストとただのナルシストの違いだ。

 

私は昔から美意識が高い。運転中は車のシートにもたれかかり寝癖がつくのが嫌で頭を浮かせていた。それにより首のコリが悪化した程だ。近くのコンビニに行くときもスウェットでは行かず正装とまではいかないがそれなりの服を着ていく。

 

考えてもみてほしい。パーティーにお洒落して行く人間は大勢いる。だが日常的にお洒落が根付いている人間が何人いるか?

 

もしもコンビニにスウェットで出向き知り合いに会い、その知り合いがいつもの様にお洒落をしていたとしたら。

 

この人はコンビニにもオシャレをして来るのだ。いつもオシャレに違い無い。と認識されるだろう。オシャレの太鼓判を押される。

 

人の目を気にして何が悪い。それで気持ちよくなれるなら良いじゃ無いか。

 

 

 

【随筆】工場

長年使い続けられても今だに堅牢で威厳を放つ機械。

 

その機械と機械が擦れ合い断末魔の様な叫び声がオイルの匂いで充満した空間に反響する。

 

工場というところは一から物を作り上げる人間の創造性と人間すらも生産までの一つの部品として位置付ける無機質さを兼ね備えている。

 

全てがなんらかの任務遂行までのシステムの元に動いているかの様な錯覚に陥る。

 

家に帰り妻が作った晩飯を食べる。少し熱めの風呂に入りまた明日までの英気を養う。つかの間の安らぎ。

【随筆】悩み

あまりにも稚拙な夢を見たとき、自分は成長しきれていないのではと不安になる。

 

そんなと無いさ。誰だって夢の中では自由なんだ。

 

都合よくそんな一言を言ってくれる人間を持っていない。

 

それは夢の話しほど微かなもので繊細なものは口頭で伝えようにも伝える側の語彙、空間認識能力、文章編集能力が試されるからだ。

 

あまりに非力では相手に退屈と後悔を与えてしまう。 

 

ある程度完成させてからで無いと人は取るに足らないものだと吐いて捨てる。

 

悩みっていうのは解決するべきものと、ただ聞いて欲しいだけのものがある。

 

重要なのはそれは当事者、つまり悩みを暴露する人間にはそのどちらなのか見分けがつかないって事なんだ。

 

なんとも無責任な話の様に聞こえるけど

解決すべき事、打ち明けるだけで少し楽になる事それをいちいち仕分けしていたのではこの日常はあまりにも忙し過ぎる。

 

悩みを打ち明けられる側の力量が試される。

 

 

【随筆】秋分の日

雨降りしきる秋分の日

 

朝飯を6時から作り、洗濯物をして、ゴミを出して、コーヒーを淹れて、雨が凄いから庭のパクチーを軒下に取り込んだ。

 

唐突だが

都内で海老ラーメンが食べられる店はゴノガミ製麺所以外に何処かあるのか?

 

青梅のいつ樹は移転してしまっだらしい。

 

困った事になった。海老を欲ししている。