英語の歌をスラスラ歌うコツ
【まず初めに】
ひたすら聞くしかありません。それで覚えられるなら苦労しないよと言うか声が上がるかも知れませんが、もう異国の言語ですのでそうするしか方法はないのです。
考えてもみてください。日本語の曲でも諳んじるまで歌い込むには何度も何度も聞いてリズムに合わせて口に出すというプロセスを経て習得するはずです。
【英語の歌詞がなかなか覚えられない理由】
では何故英語の歌詞は覚えるまでに苦労するのか。それは数多く聞かないとはっきりと聞き取れない語があるからです。
【作業①】
先ず繰り返し曲を聞きリズムを身体に叩き込みます。歌詞はふにゃふにゃと口にできるぐらいで大丈夫です。絵を描く工程で例えるとそれは下書きです。一曲丸ごと繰り返しても1番だけを繰り返し聞いても構いません。イントロだけでも構いません。大事なのはこれからマスターする箇所を繰り返し聞くと言う事です。
【作業②】
次に音節が重なり聞き取れない箇所を重点的に聞きます。これは絵を描く作業に例えると色塗りです。
でもここに至るまでに、聞き取れる箇所は全て歌詞を見ても構いませんのでリズムに合わせて歌えるようにして下さい。
何が重要かというと「聞き取れない音が聞き取れてリズムに合わせて歌えるようになれば気持ちいいのにな」と言う感覚を抱く事です。
つまりプラスではなく、マイナスの理論を持ち習得に向けて練習して下さい。
理論なんて堅苦しく考えなくても結構です。
英語の歌詞を完璧に歌えるようになったら楽しいですよね。でもその楽しさを味わうにはどうしても聞き取れない音を耳に馴染ませ、口に馴染ませる必要があります。
その作業がちょっとばかり労力と集中力がいるだけです。
初めから全部の音を聞き取り発音しようとすると挫折します。だから聞き取れない箇所をしっかりと把握する事で練習内容を極力減らすのです。
野球やサッカーは自分がいかに練習したとしても相手がいるスポーツですから相手が自分達よりもハードな練習により高度な技術を有していたら到底叶うはずありません。それに勝負事ですので運も左右します。
ですが歌は練習すればするだけ力になります。必ず歌えるようになるのです。
色んなHOW TO本にある通り楽しんで打ち込めるかとか、ストレスが掛からないで取り組めると言う事が英語の歌詞を覚える上で重要です。
またモチベーションも大切です。ライブでもカラオケでも人前で恥じる事なく堂々と歌いきった時の自分を想像して下さい。きっとその時の自分はかっこいいはずです。
【作業③】
聞き取れない音を聞き取れ、リズムに合わせて発音できるようになったら全てを通して曲をスラスラと歌えるように練習して下さい。ここまでくれば作業③の工程は意識しなくても通しで歌えたら気持ちが良いので自分から自然と行うはずです。絵を描く作業に例えたら額縁を選ぶと言ったところですかね。せっかく描いた絵なのですからきちんとした額縁に収めたいものです。
【挫折しそうになったら】
私は自分が英語の歌詞を覚える工程の中でどのように思考しているのかを皆さまに明確にするために何度も繰り返すとか、練習するとか、理論とか、覚えるという堅苦しい言葉を使用してきました。
ですがそもそも私が英語の歌詞を覚える時には覚えるという事を意識しません。
では何を意識しているかというと、歌手になり切ろうと意識しております。すると覚えるとか練習するとかそういった面倒くさい概念から解放されます。
覚えるとか練習するとか何度も繰り返すとかそれらの言葉を聞いてるだけでもう勉強をしているようで嫌な気持ちになりますよね。
ですからライブでもカラオケでも歌手なりきってシンクロできるようになりたいと意識すると上達も早いのではないでしょうか。
生まれたての赤ん坊のようにクリーンな気持ちになれる曲
BILL EVANS "Danny Boy" (Londonderry Air) Piano solo.を聞いてめちゃくちゃ泣いた。そしてめちゃくちゃスッキリした。
なんだろ、
歌詞と曲がある音楽を聞いて泣ける事はある。例えば坂本九の上を向いて歩こうとかイーグルスのデスペラードとかがそうなんだけど、それは歌詞の力と曲の力の相互作用なんだよな。心に響く歌詞と心に響く旋律。
でも歌詞がなくてインストだけで泣ける曲ってあるんだと思った。
もっとも、BILL EVANS "Danny Boy" (Londonderry Air) Piano solo.はアイルランド民謡、ロンドンデリーの歌ってのに歌詞をつけてダニーボーイ、、、うんたらかんたらってウンチクはどうでもよくて要はそれを聞いて俺が感動したって話。
でも歌詞も凄く良い。いいね!ボタンとかそうだけどなんでもいい、悪いで決めるのは良くないと思うんだよな。
フェイスブックでも「なるほど」ボタンとかあったら結構需要あるんじゃない?
ややこしくなるか、、、
話は脱線したけどそうそうダニーボーイの歌詞の話だよね。
母親が戦地に赴く息子の事を思って歌ってるみたいだけど、歌詞の中で母親が「もしあなたが帰って来て私が死んで居ても私の眠る墓で拝んで下さい。」って言う部分があるんだけど、凄く切なくて泣けるよね。
母親は兵隊に行かせる為に子供を産んだのではないと思うんだ。でも時代は母親から子供を遠くへ誘う。
戦争って悲惨さが凄く現れてると思う。俺なんかさ、兵役に就いてる訳じゃないのに、親孝行しないでいったい何をやってんだろって思うよ。
母ちゃんごめんなってこの曲聞いて思ったんだ。
BILL EVANS "Danny Boy" (Londonderry Air) Piano soloのピアノのなんていうかな、哀しくて優しいんだよな。そのバランスが良くて美しくて心地よくて涙が胸の奥から込み上げてくるんだ。
哀しい曲ったらいっぱいあるよね。
優しくなれる曲もいっぱいある。
でも哀しくて優しい曲ってあんまり聞いた事ない。俺が死んだら葬式の時はBILL EVANS "Danny Boy" (Londonderry Air) Piano soloを流してくれるように頼んでおこう。
あんまり暗い事ばっかり言ってちゃいけないよな。
世の中にはこんなに美しくて哀しくて優しい曲がある。
それは希望だよ。
こんなに心を豊かな気持ちにしてくれる曲があるんだ。世の中捨てたもんじゃない。
日々色んな事あるけど、こういう素敵な曲と出会えたら今までの事水に流してやろうって気持ちになれるからさ。
幸せって感覚は俺の中で結構はっきりしてて、それはトレイルランニングで汗だくになって麓までやっとの思いで下りてきて自販機で買ったいろはすの美味しさって事なんだよな。
いろはす愛好者には申し訳ないけど、俺はそれまでいろはすを美味いと思った事がないんだ。
ボルビックは美味いよ。六甲の美味しい水も美味い。クリスタルガイザーも美味い。でもいろはすは美味しい?味ないじゃん。
でもそんなボロボロに言われてるいろはすでもあの時汗だくになりながら飲み干したいろはすは今まで飲んだ水の中で一番美味かった。それはつまり、水の有り難さを知ったって事なんだ。(自販機でボルビックを買って飲んでたらいろはすより美味しかったんじゃないのという話は置いといて)
だから俺は幸せって突き詰めて言えば有り難みがわかるって事なんじゃないかと思ってる。
だからさ、日々辛い事があればあるほどちょっとした事が本当に涙が出る程嬉しく思えるじゃん。人生捨てたもんじゃないって本当に思うよ。
なかなか辛い時や大変なときはその先に楽しい事があるなんて思えないけどさ、
そんなどうしようもない眠れない夜に。
BILL EVANS "Danny Boy" (Londonderry Air) Piano solo
いいんじゃないですか?
【小説】カフェ
大学卒業後東京のCM制作などを手掛ける小さな映像制作会社に就職して四年間勤め激務により最後は電車の中で強い不安感と動悸き襲われ、ろくに睡眠も取れなくなり休職し、そのままズルズルと退職した。
辞めてみたが特にやる事も無く寝れるだけ寝て起きて、そんな日々が2ヶ月程続きどうしても退屈に耐えられなくなった。
あれ程楽しみにしていた休日も全く有り難みが無いのだ。やたら早くに目が覚める。休みは仕事があって始めて成り立つという事を実感した。
どうしても退屈になりアパートの近くの公園に行く。そこはよく東京ドーム何個分と数える程の大きさを持つ都会のオアシスという名にふさわしい大きな公園だった。
早朝だと言うのに老若男女問わず多くの人々が有酸素運動をしながら日頃たんまりその胸に溜め込んだ鬱憤を二酸化炭素と共にリズミカルに吐き出していた。
退職時、あれ程青々としていた緑道の木々は生命力を使い果たしたのか所々に茶色い葉っぱをぶら下げている。
時間は過ぎる。私が西日の差し込む窓際にぐったりと敷かれた布団の中で惰眠を貪っていても。日々の退屈に怯えていても。時間は実に規則正しく、そしてなんとも無機質に流れていく。
緑道を抜けて公園にほど近い場所にある朝早くから開いている行きつけのカフェに立ち寄る。
何処かの廃材置き場から拾って来たような材木で作った床板や眩し過ぎないアイボリーの壁紙が貼られている。店全体が綺麗になり過ぎず、それは良い感じに汚く良い感じにお洒落な店だった。
アイボリーの壁紙には絵が掛けられていた。何処かの画家が「ちょっとこの子の世話お願いね」と普段その生活の一切の面倒を見てもらっている愛すべき妻に頼まれ、仕方なしに哺乳瓶を冷ますまでの間に描かれたような抽象画だった。流木であろうか傷だらけで不揃いな木材を緻密に組み合わせてできた額縁に囲まれて店内を見渡していた。
サーフボードで作られたローボードの上に置かれたスピーカーからはジャックジョンソンのGONEが流れていた。
カウンター越しに30代前半であろうかいつも髪を一つ縛りにした全体からさっぱりとした印象を受ける女性スタッフが注文を聞く。
「エスプレッソ一つ下さい。」
私はすっかりすり減らした緑の布地を被せたアンティークの椅子が見える合い向かいの席に腰を下ろしエスプレッソの出来上がりを待っていた。
この緑の布地の椅子が好きだった。座ってしまうと全体が見えないから人が混んでいないときはいつもこうして緑の布地の椅子が見える向かいの席に座る。
この緑の椅子は店の中でおそらく一番重要なポストにある鈍く光るエスプレッソマシーンよりも、それを黙々と動かすポニーテールの女性スタッフよりも、威厳を無くし、妻の尻に敷かれた画家の絵よりもなによりも堂々として見えた。
【書評】疾走 感想 ネタバレ注意
会話が多く難しい表現の無い文章は読みやすく感じた。だがどうしようもない何の救いもない小説だけにあまり深入りしない様に努力した。そういう小説はのめり込み過ぎると2、3日小説の世界を引きずる事になる。
エリが脚を負傷する場面など残酷な描写が胸の中をえぐる。ダンプカー、ヤクザ、それらのキーワードがまるで暴漢が刃物を目の前でチラつかせているような感覚に陥った。とにかく危ないのだ。気が気では無い。読み手の心に不安の二文字を抱かせる。
だが読み手はその不安を楽しんでいる。物語の作者が提示する残酷を必要としている。人間はそういう面があるのではないかと感じた。
読み進めていくと遠藤周作の「沈黙」を思い出した。「沈黙」の中でも神は人が如何なる悲劇に見舞われようともただただ沈黙していた。
弥七と徹夫がだぶって見えた。狡猾な所は瓜二つだと思った。そう言えば「疾走」も「沈黙」もキリスト教をテーマとしている。私はそちらに関しては詳しい知識を有していないから何とも言えないが徹夫や弥七の様な人物が聖書に登場してくるのであろうか。時系列を正して言うと聖書に登場してくる様な人物をモチーフにした存在が徹夫や弥七なのであろうか。
神は残酷だと思わず言いそうになる場面があった。シュウジは新聞屋で働いている時に同じ部屋になった老人に酒を勧められ心がほぐれて涙まで流した。酒を気前よく飲ませる段階で何かあると感じてはいたが老人の発言が「お金はちゃんとしまったか?」という会話になった時に確信した。シュウジはやられる。相手の懐に飛び込みやすい様に最初はやたら親切に接して獲物を充分油断させてから手にかける人間がいる。そんな人間は所長よりもずっとたちが悪い。シュウジは人間の悪い面を見過ぎたのだ。出会い過ぎた。だから彼は誰も信じない様な目を持つ様になってしまった。
新聞屋の所長が新聞を配達しながら人々の不幸を届けていると言っていた。僕はどきりとした。僕は新聞に載る不幸のニュースを読む人間だった。この場合僕が呼んでるのは事実(必ずしも事実とは限らない)が書かれた新聞ではなく疾走という小説だ。シュウジの不幸に胸を痛めているふりをして自分の身がシュウジに比べればまだマシだとそんな風に捉えていないと否定できない。所長の言葉は暖かい部屋でコーヒーを飲みながら小説を読んでいる僕自身に語りかけている様だった。本が問いかけてくる小説だった。特に後半の性描写に顕著だが君、嫌なら良いんだよ、別に無理に読み進めなくても、それでも先が気になるの?それならどうぞご自由にと。
物語も終盤に差し掛かるともうそれは沈みかけた船を甲板で見届ける航海士の様だった。ゆっくりとだが着実に船の内部に海水は進入してくる。それはもうどうにもできない。打つ手が無いのだ。ジワジワと暗く何処までも深い海の底へと引きずり込まれていく。しかし見届けずにはいかない。僕は自分の残酷さをヒシヒシと痛感した。
【詩】詩人と死人
芸能人がいくら美味いものを食ってるところを見せられても俺の欲望は満たされない
芸能人の大豪邸をいくら隅々まで見せられて、調度品に関していちいち細かな説明をされたところで俺の欲望は満たされない
いくらいい女を見てマスかいても俺の欲望は膨れるばかり
果てしない欲望の裾野は広がるばかり
一日が終わるのを恐れている
昨日と一体何が変わった
アルバムの中は覗きたくない
死ぬ間際に見ると心に決めている
もうかれこれ数年見たくない桜の花を見てる
春を素直に喜べない
菜の花はまだいい
あれは食えるから
今日も睡魔に襲われ仕方なく眠る
やり直すなんて女々しい事は言いたくない
俺は山の中を駆け巡り喉が渇いて飲む水の旨さを知ってる
それだけが唯一の希望だ
悪循環に横槍を刺して悪足掻きしてやる
俺はまだ生きてる
俺はまだ
【書評】宮部みゆき 火車
ネタバレ注意
疑問
①喬子は新聞を見て転落死したのが彰子の母親だとわかったのか?
②片瀬は喬子に顧客情報を見せていた訳だがその点に関して喬子が顧客情報を何に使うのか疑問は持たなかったのか?それほど喬子に心酔していたのか。
③たがわに母親を呼び出すってなんて言って呼び出すのか?
たがわで飲食をして出てくるとは限らない。
感想
宮部みゆきの小説は初めて読んだ。戸籍謄本とか雇用者保険とか堅く、生々しい言葉が小説の冷たくどんよりとした空気感を上手く演出していた。東野圭吾みたいに思い込みや先入観をあえて提示して読者になぜ?と暗に問いかけさせ問いかけさせた後で、というのはねと回りくどいテクニックは無かったように思う。その点に関しては好感を持てた。
でも例え方が理解できなかった。
圧力鍋に放り込まれて蓋をされたような気がした。
洗濯を繰り返して擦り切れてしまったシーツのようにしらっちゃけてみえた。
私の想像力が、足りないのかこの例えが前衛的なのか?
最後まで喬子に語らせなかったのは良いと思った。素敵な表現の仕方だと思った。でも和也君は最後まで出てこなかったのはどうなのか。少し登場しても良いと思った。あと周りの補助が素晴らし過ぎる。探偵開ける。宮部みゆきは働く女性、それも手に職のある女性像が好きなのか。理学療法士、仕事を乗っ取ろうとした実業家の妻、女を舐めるなという主張がひしひしと伝わってくる。挙句にパソコン入力する女性をキャラクターを通してだが注文を入力するだけの機械と言ったりどうもその様な単純作業をする女性を良く思っていないと感じた。宮部みゆきも性別の問題で苦労したのかと思わずにはいられなかった。心理描写に関して保つの嫁が東京の会社を辞めてから元同僚から電話がかかって来たとき、結婚した話しをしたら向こうが威勢が無くなり一方的に会話が終了したという話しがあった。宮部みゆきさんはどういう人かわからないけどこういう風に人間に上下をつけて考える人なのかなと思った。人間同士が切磋琢磨し争う事を私は否定しない。だけど戦う土俵は一つじゃないのだ。